土づくりについての考察

土について考えたにゃあ。

にゃあの土についての考えをツラツラ書いていこうと思う。

有機栽培や慣行栽培(化学肥料を使った栽培)で育てた野菜は腐って、自然栽培で育てる野菜は腐らずに枯れるという主張が目についた。 (腐らずに発酵する、とも。腐敗と発酵の違いはヒトからみた、有害か無害かの違いなので、現象は同じなんじゃないかと思うのだが。) (有機JASの人が反発してて面白かった。)

元々は、自然農法を推してるYouTuberの動画で見たのだけれど。

腐らない理由は、細胞壁の強さにあるらしい。だから、収穫後、鮮度が長持ちするということらしい。

また、肥料を与えるから根っこが自分で栄養素を採りにいかなくなって個体が弱くなるという話らしい。

確かに、甘やかして弱い野菜になるというのはイメージしやすいかもしれない。 だが、強い野菜は美味しい野菜なのだろうか?

黄ニラのように遮光してフニャフニャなのを楽しむ場合だってあるし… 「肥料を与えると美味しい野菜が作れない」というのは言い過ぎで、「肥料過多になると美味しい野菜が作れない」ということ。だとにゃあは考える。

「山を見てごらんよ!人の手を加えなくても、木や草があんなに生き生きと育っているじゃないか! 植物には、もともと自然に育つ力が備わっているんだ!」ってことらしいんだけど。

自然農法って提唱者がいて、流派があるみたい。 リンゴの人とか、泥団子の人とか。カリスマ性なんだろうなぁ。 内容については眉唾もののように思えるけど。

どういう風に植物を育てるというのは、その人の考え方なんだろうなぁ。 みんなが画一的にやるべき正しい方法というのは違って、価値観(哲学)と環境だろうと思う。

ある人が、とある自然農法は宗教だと言っていたけど、考え方だから宗教につながるというのも想像ができる。 自然農法を伝える場所は、元から害虫がいないのだけど、自然農法をすると虫も食べないような野菜を作れるという風に布教?していることもあるらしい。

何を何のためにどういう風に育てて、どう使うか。 にゃあは、美味しくて栄養価の高い果実と野菜を、自分のために、目と手が行き届く範囲で、食卓の料理で採りたてを使って食べたいよ。 余分なお金はかけたくない。多少の苦労があっても、無理のない程度ならあるもので解決したい。 例えば土づくりや自家採種。育てる場所、プランターとか棚とか鉢とか。 見たときに美しいと思えるような状態で育てたい。住んでる場所でもあるんだし。自分も見るし、周りも見るわけだから…。服と一緒のようなかんじ。

これをお金にできないかと考えたときに、モノをお金にするんじゃなくて、情報と体験かな、と考える。 情報発信をどうしていくか、マーケティングだね。

最近は、ホームセンターのおかげで園芸が流行しているらしい。 以前の人と家と植物の関係は、家に庭があって庭師が定期的に手入れするようなものだったらしい。 集合住宅や核家族の家が増えたからだろうか。庭ではなく、玄関前の駐車場や通路のために固められたコンクリートの上で小さな植木鉢やプラスチックのプランターを列挙させている不自然な光景が目につく。 鉢やプランターを置くために増設したであろう屋上スペースがあったり…。 昔は、家を建てるときに植物の居場所をあらかじめ作ってあったが、現代では、建築時には植物を育てることは念頭になかったが、住み始めてから少しずつ買っていって、捨てれなくて増えてって、経年劣化したプランター・中身がお留守になった鉢の山積みが現れるようになったのだろうか。

外構屋さんから、コレが原因で庭師の仕事が無くなっているという話をきいて面白かった。 確かに、きっとホームセンターで買っていてそれは近代的な文化なのだろう。

鉢だって買うと高いので捨てれない気持ちもわかるし、大きいものはさらに値段が張るから小さいものが細々と増えていく気持ちも分かるような気がする。 でも、あまり小さい鉢は植物が根巻きをおこすのでは?あんまり個数があると入れ替え作業が大変なんじゃないかと心配してしまう。 玄関で見かける花は綺麗に咲いている状態の1年草が多いから、定期的に買ってきて植え替えていると推測する。 お金も時間も定期的にかけて人々は植物と暮らしているようにみえる。 しかも、これが一部の家ではなく多くの家にみられるのだ。すごい事だと思う。

私は、食べることを目的に植物を育てている。 多くの人が育ててる綺麗に咲いた状態が恒久的に続くわけではない1年草の花を育てようとしてもつづかないだろう。 人の玄関先から盗んで、自分の家に飾る人もいるらしい。 人々がどんな思いで玄関に花を飾っているのか、とても興味深い。

そして、育てるなら、なぜ最初から場所を用意してあげなかったのか。 棚をつくってひしめき合った玄関で美しいと思えるのはごく一部のように思える。 (衝動的に買い足していくというのが大きな要因のような気がしている。)

働いて、子育てして、いっぱいいっぱいだと植物のことを考えてなかったけど、落ち着いてきたら育てたくなってくるのだろうか。

畑って時点で、よそから植物持ってきたり抜いたりするわけだから、畑という環境を「自然」と捉えるのには無理があると思う。 それに、自然っていうのは、洪水があって川の水が流れてきたり、火災で焼け野原になって灰が積もったり…もっとダイナミックなものだと思うんだよなぁ。 リスが穴ほったり、牛が歩き回ったり、死んで土に還ったりすることも、果実が落ちて腐るのも、自然にはあるけど畑では滅多にないだろうからなぁ。

例えば、人参だって原産はアフガニスタン山麓(水はけのいい砂場)から日本に持ってきてるわけだから、そのままの土で育てるのがいいことなのかな?って思う。 硬いし湿気ってるし障害物にもあたるし…下にスッと伸びずに股根にもなるわな。って思う。 へきなん美人(愛知)だって布引ダイコン(和歌山)だって砂地で作ってるし。(布引ダイコンは砂に毎回肥料混ぜ込んでるんだって) 遠くの地から持ってきてる以上、野菜のポテンシャルを活かすには環境に手を加えた方がいいんじゃないかなって思う。

今、にゃあが育てようとしてる野菜って野生種から人工的に交配された品種だしね。 そう考えると、人と共生するような植物なわけだから、人の手を加えるのは悪い事じゃないように思える。 野生の野菜って想像したときにそんなに美味しくなさそうだしなぁ。(硬くて苦いイメージ。香りは高そう。)

育てようと思っている野菜の歴史を調べてみると、日本においての歴史が浅いものもあってビックリする。 例えば苺はペリーの長崎来航くらいに観賞用として入ってきて、食べれる日本の品種1号が作られたのはそれよりももっと後だ。 豆など中国原産のものは平安から栽培されていたようだが、そのくらいの時代は何を栽培してたのだろうか、興味が湧くくらい今スーパーに並んでいる野菜が日本にはなかった。すごいことだと思う。

問題としてる、慣行農法の肥料過多も想像できる。 あげっぱなしじゃなくて、たまに掃除してあげないとね。(緑肥に吸ってもらってもらったり、微生物に分解してもらったり…) 単純に入れてたら偏るだろうし、中要素、微量要素や微生物、菌、虫とかも重要だろうからなぁ。 ただ、入れる量はそんなに多く要らないってイメージ。

にゃあは、ぼかし肥作りに挑戦中だけど、細かくしてあげたほうがいいんだろうなぁ。 今日、家の土の様子を見てきたけど、石が転がってるしなぁ。 取り除いてあげたいなぁ。それだけで大変だろうけど、最初にやっちゃった方がいい作業だよ。 石は簡単に朽ちないしね。

どんなに頑張って工夫しても他の農家の野菜に勝てなかったのに、土地を変えたらすぐに良質な野菜が作れるようになったという話をみかけた。 原因は粘土質の場所で、適さない野菜を栽培していて、水捌けの良い畑に場所を移したら良くなったということ。 つまり、元が悪いと人がどれだけ頑張っても成果がでにくいということ。そりゃそうだ。 基礎が大事なのは経験上いろんな事柄にいえることだと思う。

例えば、ミネラル欲しいからってワカメを畑全面に敷き詰めないといけないってわけじゃなくって、潮風浴びる程度をイメージして少し入れてみるだけで結構変わると思うんだよね。灰をちょっと撒くとか。

微生物に土を耕してもらうっていうのもあるらしい。年に5センチ耕してもらえるとか… 畑の土を全部培養土と肥料に入れ替える人もいるらしいけど、何年かかけて作っていく方がいい気がする。お金かかるし。 石を取り除いてあげるとか、腐葉土もちゃんと分解したものをあげるとか。お金はかけずに手間をかける家庭菜園がいいなぁ。 私のコンセプトは目と手が届く範囲で美味しい植物の栽培だね。

水はけについても考慮しておきたい。 土壌の養分が一番豊富な表面の土が流れちゃう。って外構屋さんには言われたけど、にゃあは水はけが悪くて、土がベチョベチョになる方が嫌。 だから、地中に竹を埋めて水が入れるような空洞部を作り(暗渠排水の代わり)、勾配をつけて水路を作って(明渠排水)水が捌けるようにしたい。

美味しい野菜には、光が大事な要素だよね。できるだけ光が入るような畑にしたいなぁ。 果樹も植木鉢で置きたいし、サツマイモタワーも影を作るだろうから、やってみて調整していけるといいなぁ。

寒暖差とか。これは畑では難しいなぁ。温室ではやりたいけど。

↓参考にした記事↓

野菜ジャーナリスト 篠原久仁子webマガジン | 畑からの伝言帖

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